病院で死を迎える人が多くなってから、終末期の体調の変化について具体的なイメージが描けない人が増えてきました。医療の進歩で、例えば重いがんの方でもそれなりの時間、比較的良い状態を保てるようになっていることが、もしかすると準備を遅らせているのかもしれません。「自分の死」については誰しも考えたくないものですが、余力のあるうちにきちんと情報を得ていれば、残された時間をどう有効に使うべきか、考えるきっかけになるはずです。葬儀とは、基本的に残された家族のためのものですが、希望に応じて、故人の意思も反映したほうがいいと私は思っています。なぜなら、葬儀は最期の自己表現の場とも言えるからです。
「戒名は自作する」「遺影はこの写真を使って」「家族葬でこぢんまりと」などの大まかな希望は、あらかじめ家族に伝えておきましょう。葬儀が自分の思いを反映したイメージで行われるとわかれば、安心につながることもあります。日本は“察し”の文化であり、親しい人に気持ちを言葉で伝えるのが苦手な人が多いのですが、常日頃から家族や友人へ感謝の気持ちを伝えておきましょう。最期に「ありがとう」と言えばいいと思っているうちに、いきなり意識が低下してしまう場合もないとは言えません。私の患者さんのなかには、元気なうちに家族への手紙やビデオレターを残した方も。自分の思いを大切な人たちに伝え終えてこそ、“やり残した感”のない最期の迎えられるのです。以上に挙げた10ヵ条は、誰しも健康なうちから考えておきたいことばかりです。お盆やお正月など、家族みんなが集まる機会に、それぞれの思いを共有しておくといいですね。
もちろん、家族のなかの誰かが重い病気となったら、元気なときとは気持ちが代わっていることもよくあります。その場合は、周囲もその意思を尊重し、柔軟に受け止めるようにしていきましょう。また、家族の側から、その方がどのような形でこれからの時間を過ごしたいのか、よく聞いてあげることも重要です。重い病気の方に、どのように最期の時間を過ごしたいか聞くなんて、とてもできないと言う方もいるでしょう。ですが、「死」は終わりではなく、自分自身の思いを次の世代に受け継いでいくためのひとつの節目と、私は考えています。だからこそ、終末期には、逝く人の思いを家族ができるだけ実現させ、またその思いをきちんと受け継いでいくことが、後悔の少ない死のためには大切なことだと言えるのです。